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<<   作成日時 : 2007/01/17 14:33   >>

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忌まわしい阪神淡路大震災から12年がたちました。

神戸の義母は、昨年の今日を、病院のベッドの上で迎えました。
お正月に転倒し、大手術を終えたばかりの痛々しい姿で
涙をぼろぼろこぼしながら、胸の上で手を合わせました。

そして、12年を経過した「今日」
義母は、天国で義父や義兄と並んで、同じように手を合わせていることでしょう。
昨年の秋に亡くなった義母の姿が見えるようです。


阪神淡路大震災の日。
奇跡的に瓦礫の下から助け出された義父達です。
近所の人達が危険をも顧みず、積み重なった瓦礫を必死になって取り除いてくださったとか。
もう少し遅かったら、きっと駄目だっただろうといわれました。

義父達は、寒風の中、寝巻き一枚の姿で体育館に避難しました。

そして、その日。。。深夜のうちに義父達の住みなれた家は焼け落ちてしまったのです。
長田区から広がった真っ赤な炎は、
あっという間に火の海と化して、須磨区にも襲い掛かってきました。

翌日の午前二時頃でしょうか。
岡山を午前九時頃出発した主人が、やっとの思いで神戸に入れたのは。。

其の日、岡山は震度3でした。
いつもにない大きな揺れを感じましたが、
まさか神戸がそんなに恐ろしいことになっていたとは。。
勤め先のテレビの画面を通して、初めて神戸の惨状を目にした主人でした。
勿論電話も通じず、祈るような気持ちで車を走らせたのです。

「まさに地獄絵だった」

主人は、気が狂ったように走り続け
両親や兄弟を探して避難所を探し回ったそうです。


下町の人情があふれ、かざりっけのない、家族的な雰囲気をもつ地域でした。
結婚後、主人の実家に帰る度に、
「おかえり〜」という温かい言葉が
あちらこちらから飛び交ってきたものです。

数日後、泣き崩れながら、焼け跡に倒れこんだ義母の姿を
私は忘れることはできません。
焼け跡の灰の中に両手を突っ込んで、気が狂ったように叫び声をあげ続けた義母です。


まるで、夢を見ているかのような光景が広がっていました。
所狭しと立ち並んでいた建物は、跡形もなく消えうせ
見渡す限りの焼け野原です。
至るところから、不気味な色をした煙がくすぶっているかのように思えました。

この風景が、一体何人の尊い命をのみこんでいったのでしょう。

みんな、ただぼろぼろと泣くばかりでした。


爪に火をともすように、慎ましやかな義母の生活ぶりでした。
一日中、くるくる、くるくるひたすら働いていたように思います。
「小さい頃から、おふくろが横になっているのを見たことがない」
主人をはじめ、男兄弟は口をそろえてそう言います。

男ばかりの4人兄弟。。
食べ盛りの頃は、どんなに苦労したことでしょう。
働きに出て、家に帰ってからも動きっぱなしだったことでしょう。

そんな義母達が、何十年もかけて共に積み上げてきたもの。。。
「生きてきた証のようなもの」が、12年前の1月17日に全てなくなったのです。

悪夢のような一日が過ぎた後、義父達は岡山の私達の家に身を寄せることになりました。

主人の兄弟の家も、半壊や全壊の被害を免れませんでした。
それでも、誰ひとり、命を失わなかったことは、奇跡に近いことだったと思います。
6434人もの尊い命が、無残にも消えていったのですから。。。

岡山の地で暮らしていた義父は、震災後の心労がたたり
持病が悪化し、1年後に帰らぬ人となりました。
さぞや懐かしい神戸の地で、最期を迎えたかったことでしょう。
そして、後を追うように、長男が53歳の若さで逝ってしまいました。

義母の落胆ぶりはいかばかりだったでしょう。。
「神戸に帰りたい。。神戸に帰りたい。。」
義母は、毎日のように心の中で叫んでいたに違いありません。
何度も何度も、復興住宅への入居希望を申し込みましたが
そのたんびに、抽選もれ。

慣れない岡山での生活は、義母にとっては酷な日々だったと思います。
家族同様に暮らしてきた、懐かしい人達の顔、懐かしい下町の街並みを思い浮かべていたにちがいありません。
地域の方達の安否も気になって仕方なかったことでしょう。

そして、やっとのこと、抽選に当たったという知らせが舞い込んできたのです。
そのときの義母の嬉しそうな表情といったら。。
「故郷に帰れるって、こういうことなんだなあ」と、しみじみ思ったものです。

それから、義母の、神戸での一人暮らしが始まりました。
義父と長男を失った悲しみは、想像を超えるものがありましたが
それでも義母は、懐かしい神戸の地で気丈に第一歩を踏み出しました。

そして、病魔と闘いながら、気持ちを奮い立たせるようにして
頑張り通してきたのです。

でも、子宮がん末期治療の後遺症は、義母の体をたたきのめしていきました。
壮絶な手術を受けて、もう十何年も経過しているというのに。。。

「子宮の中で、大きないがぐりをグリグリこね回しているような痛みだった。。。」
大手術を終えた後、
義母が、うめくように吐き出した言葉を今でもはっきりと覚えています。

私の母は、乳癌との壮絶な闘いに打ち勝つことができず、本当に若くして亡くなりました。
そして、神戸の義母は、子宮癌第4期という、死の淵から這い上がったものの
信じられないような長期間にわたって、あらゆる後遺症と闘ってきたのです。

二人の「母」の壮絶な生と死。
そして今、とうとう「母」と呼べる人がいなくなりました。

義母は、自分にとても厳しい人でしたから、私達嫁にも厳しい人でした。
でも、娘がいない分、本当の娘のように可愛がってくれました。
そして、何よりも私達を信頼して、何でも話してくれました。

時折大きなダンボール箱が届いたものです。
赤いサンダル。かつおやわかめ。昆布や煮干。。それにセーター等など。。
すべて、スーパーの大売出しで買ってくれたものです。
その品物を、可笑しくなるくらい丁寧に丁寧に包装してくれているのです。
義母の、ささやかでいて精一杯の心尽くしが伝わってくるようでした。



病気の後遺症に悩まされ、そして足の手術を何度も受け。。。。
震災後の義母は、入退院の繰り返しの日々でした。
認知症の症状も急速に進んでいきました。

そして、遂に昨年の秋に力尽きてしまったのです。
八十九歳でした。


義母が一人で住んでいた部屋を、
昨年の12月末までに空にしなければなりませんでした。

震災後にそろえた道具は、本当にささやかなものです。
あれもこれもと思う私達を、凛とした口調で制した義母でした。

何もかもなくなった部屋の中で、主人がつぶやきました。
「とうとう帰るところがなくなったなあ」

義母は、どんな思いで聞いていたのでしょう。

あらゆる苦労に精魂傾けて向き合ってきた義母の人生。
その魂に、手を合わせずにはおれません。
「震災後を、健気なほど懸命に生き抜いてきた」。。。
まさしくそう思います。

心安らかに眠ってほしい。。。。震災12年目の今日。。。切に願います。


今、テレビの画面に震災の日の様子が映し出されています。
想像を絶する数の命の灯火が消え、
たくさんの人の人生を変えた日です。

断じて風化させてはいけない日です。

6434人の方達のご冥福を心よりお祈りいたします。



震災の集いで、私の大好きな曲「ビリーブ」が歌われていました。
心に響く歌詞です。


      http://bunbun.boo.jp/okera/haho/believe.htm


             BELIEVE

         たとえば君が 傷ついて くじけそうに なった時は
         かならずぼくが そばにいて ささえてあげるよ その肩を
         世界中の 希望をのせて この地球は まわってる
         いま未来の 扉を開けるとき
         悲しみや 苦しみが いつの日か 喜びに変わるだろう
          ■アイ ビリーブ イン フューチャー  信じてる


         もしも誰かが 君のそばで 泣き出しそうに なった時は
          だまって腕を とりながら いっしょに歩いて くれるよね
          世界中の やさしさで この地球を つつみたい
          いま率直な 気持ちになれるなら
          憧れや 愛しさが 大空に はじけて耀(ひか)るだろう
          ■アイ ビリーブ イン フューチャー 信じてる

    今未来の 扉を開けるとき
     ■アイ ビリーブ イン フューチャー 信じてる







皆さん、本当にお久しぶりです。
パソコンからはすっかり離れた生活をしていました。
そして、喪中のため、年末年始のご挨拶は遠慮させていただきました。

久しぶりの更新ですが、お返事が書けなくて申し訳ないので
コメント欄は閉じさせていただきました。
申し訳ありません。

もう少ししたら、またお邪魔させてくださいね。
こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。(*^-^)


画像は、義母の好きだった淡いピンクのシクラメンです。








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タイトル (本文) ブログ名/日時
忘れてはいけないこと。
12年前の昨日、空には無念と悲しみが溢れていた。 ...続きを見る
花猫日記
2007/01/18 10:04
愁いと憂い
ニュースを見て思い出しました。 あの阪神淡路大震災から12年が経ったのですね。 ...続きを見る
鳥見んぐ フォトエッセイ
2007/01/18 12:33

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